憲法と生きた戦後〜施行70年_写真展

-定点観測者としての通信社-

写真展開催にあたって

日本国憲法が施行されてから今年の5月3日で70年になります。この間、世界各地で朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、中東戦争、イラク戦争、シリア内戦など、領土獲得を目指す激しい国家間の争いやイデオロギー・宗教対立に基づく血なまぐさい戦いが相次ぐ中で、私たち日本は幸運にも、外敵の侵入など大きな試練を一度も受けることなく、安心で安全な平和国家として生きてこられたことを心から感謝せざるを得ません。これも太平洋戦争の敗戦という貴重な経験から学びとった国民一人ひとりの平和への熱い思いと新憲法の平和主義のもとで官民一体となって国家の建設・運営に当たってきた賜物といえます。


来年はまた、明治維新から数えて150年になります。戦前、戦中、それに終戦までの期間が「明治憲法」の時代だったとすれば、終戦から昭和の残り期間と平成の今日までは「昭和憲法」の時代に当たります。終戦直後、中学校の社会科授業で、公布されたばかりの日本国憲法について、国民主権、基本的人権、平和主義が新憲法の三つの基本理念、と教えられた世代の一人である私にとって、これは戦後の混乱期の貧しい生活の中にあっても絶対見失ってはならない崇高な理想と映りました。日本政府がマッカーサーからの示唆で、憲法問題調査委員会を設置、本格的に改正作業に乗り出したのが1945年10月25日。その後、何度も改正を繰り返し、1946年10月7日、衆院で憲法改正案を可決成立、同年11月3日公布、47年5月3日施行、という憲法制定の歴史はそのまま、日本の新しい時代の始まりの歴史でもありました。


私たちは今、平和な時代にあるといっても、それがいつまでも続く保証はありません。昨年6月の英国のEU (欧州連合)離脱と同年11月の米大統領選でのトランプ氏の当選はほとんどの人の予想を覆すものでした。もはやこれまでの常識的な判断や見方では時代の変化を読むことができなくなったということです。まさにこのような時だからこそ、基本的人権を尊重し、平和主義に基礎を置く昭和憲法制定の歴史を振り返り、憲法の在り方を考え直してみる時といえます。


本写真展では、この70年間を6つの時代・テーマに分け、それぞれの時代相を象徴する関連写真を選んで展示しました。当時の状況を少しでも身近に感じていただければ幸いです。写真展の企画、設営に当たっては共同通信社の全面的なご協力をいただいたほか、個々の写真の選定では、写真選定委員会の皆さまから多くのアドバイスを頂戴しました。この場を借りて改めて関係者の皆さまに深くお礼申しあげます。

理事長ph


公益財団法人 新聞通信調査会 
理事長 長谷川 和明 

  • 太平洋戦争の降伏文書調印
  • 昭和天皇がマッカーサーと会見
  • 東京・新橋駅前の闇市
  • 買い出し列車で農村へ
  • 幣原首相がマッカーサー訪問
  • 日本政府が憲法改正草案要綱を発表
  • 女性が初めて投票
  • 東京裁判のA級戦犯
  • 日本国憲法成立
  • 昭和天皇が日本国憲法に署名
  • 日本国憲法の原本(国立公文書館蔵)
  • 憲法公布行事でにぎわう東京・銀座
  • 祝賀の「日の丸」作り
  • 昭和天皇が地方巡幸
  • 貴族院の歴史に終止符
  • 国会議事堂に参議院の看板
  • 憲法施行式典で万歳に応える昭和天皇
  • 憲法祝賀の花電車
  • 第1回国会の昭和天皇
  • 戦後使われた墨塗りの教科書
  • 男女共学で裁縫
  • 憲法普及の街頭講演会
  • 憲法普及の小冊子を全国の家庭に配布(左)
  • 11宮家が皇籍離脱

1945年夏、太平洋戦争に敗れた日本は復興に向けて立ち上がり、国家の基礎となる新しい憲法の制定作業が始まった。政府は45年10月に憲法問題調査委員会を設置して検討作業に着手した。

しかし日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官は、同委員会の「憲法改正試案」に不満を示し、46年2月、「天皇制維持」「戦争放棄」「封建制度廃止」の「憲法改正3原則」を示してGHQに改憲草案の作成を指示。9日間で起草されたGHQ草案が日本政府に手渡された。

政府はGHQ草案を参考に新たな政府案を作成し、6月に「大日本帝国憲法」(明治憲法)の改正案として帝国議会に提出。国会審議の過程で修正が加えられた上、46年10月7日に成立した。

11月3日に公布され、47年5月3日に施行された新しい「日本国憲法」は(1)国民主権(2)基本的人権の尊重(3)平和主義―の3つの基本理念を掲げた。昭和天皇は46年1月に「人間宣言」を行い、大日本帝国憲法で「国を統治する」とされた天皇は、新憲法では「日本国の象徴」となった。

新憲法の公布と施行の日には記念式典が開かれ、多くの国民が歓迎した。施行に当たって憲法普及会が全国の家庭に配布した小冊子『新しい憲法 明るい生活』は「われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない」と呼び掛けている。

 

1945年 8月15日 昭和天皇が戦争終結の詔書を放送(玉音放送)
  9月 2日 重光葵外相が米艦・ミズーリ号上で降伏文書に調印
  27日 昭和天皇が連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官と会談
  10月 4日 マッカーサーが近衛文麿元首相に憲法改正を示唆
  11日 マッカーサーが幣原喜重郎首相との会談で「憲法の自由主義化」に言及
  25日 政府が憲法問題調査委員会を設置
46年  1月 1日 昭和天皇の神格を否定する詔書、いわゆる「人間宣言」発布
  24日 幣原首相・マッカーサー会談。「戦争放棄」議論か
   2月 1日 毎日新聞が憲法問題調査委員会の憲法改正試案を報道
  3日 マッカーサーがGHQ内に憲法改正3原則を提示
  13日 GHQが吉田茂外相らにGHQ草案を手渡す
  19日 昭和天皇が神奈川県から地方巡幸を開始
  3月 6日 政府が「憲法改正草案要綱」を発表
  4月10日 20歳以上の男女に選挙権が与えられた初めての衆院選実施。初の女性議員39人が誕生
  4月17日 政府が「憲法改正草案」を発表
  5月 3日 極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷
  6月20日 政府が帝国議会に憲法改正案を提出
  10月 7日 憲法改正案が修正の上、衆院で可決・成立
  11月 3日 日本国憲法公布。皇居前広場で記念式典
  12月 1日 憲法普及会設立。後に小冊子『新しい憲法明るい生活』を作成、配布
47年 3月31日 教育基本法施行
  5月 3日 日本国憲法施行
  5月20日 新憲法下での第1回国会召集
48年 11月12日 東京裁判で東条英機元首相らA級戦犯に有罪判決

(海外の事項は現地時間)

日本国憲法が施行されてから2017年5月3日で70年。制定にゆかりのある場所を訪ね、戦後日本の基軸が生まれた過程をたどる。


GHQ最高司令官マッカーサーの執務室跡=東京・有楽町の第一生命日比谷本店
GHQ最高司令官マッカーサーの執務室跡=東京・有楽町の第一生命日比谷本店
マッカーサー(ACME)
マッカーサー(ACME)

1---マッカーサー執務室 絶大な権力、制定主導/皇居近く、基本方針示す

約54平方メートルの部屋に1畳分ほどのテーブルと肘掛け椅子。占領下の日本で絶大な権力を握った連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサーの執務室だ。この部屋から占領政策を指揮し、憲法制定も主導した。

GHQは1945年9月、皇居南東に位置する第一生命館を接収し、6階の社長室を最高司令官用にした。マッカーサーは東京・赤坂の米国大使公邸から出勤し、昼食と昼寝のためにいったん戻り、再び出勤する、という日々を送った。

マッカーサーは当初、日本側に改憲を促す形を取った。10月、元首相の近衛文麿と会談して「憲法は改正を要する」と伝え、近衛は内大臣府御用掛として作業に取りかかった。続く首相幣原喜重郎との会談でも「憲法の自由主義化」に言及。内閣に憲法問題調査委員会が設置された。

しかし、同委員会の作った改正案を46年2月1日に毎日新聞がスクープし「あまりに保守的、現状維持的」と批判。3日、マッカーサーは戦争放棄や封建制度廃止など改正の基本方針となる3原則を示し、GHQ草案の作成が始まった。

マッカーサーは回想記で「(同委員会改正案は)旧態依然たるもの、あるいは改悪とさえ思われるものだった」とし、部下に「日本側に援助と助言を与えるよう指示した」と振り返った。

第一生命館は90年代に改修されたが、この部屋はほぼ当時のまま残された。2015年、3年ぶりに6日間限定で一般公開され約2700人が訪れた。(肩書は当時、敬称略)

「奈良屋旅館」の跡地にあるリゾートホテル=神奈川県箱根町
「奈良屋旅館」の跡地にあるリゾートホテル=神奈川県箱根町
近衛文麿
近衛文麿

2---近衛文麿らの作業場所 “解任”された元首相/箱根の旅館で学者と議論

神奈川県箱根町宮ノ下にある「奈良屋旅館」の一室が、元首相近衛文麿らの作業場所だった。

1945年10月4日、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサーが近衛との会談で憲法改正の必要性に触れ、自由主義的要素を取り入れなければならないと述べた。近衛は内大臣府御用掛として、憲法学者佐々木惣一やその助手の磯崎辰五郎らとともに調査の作業に取り組んだ。

奈良屋旅館には佐々木らが泊まり込み、近くに別荘があった近衛も連日議論に加わったという。

ところが、GHQは11月1日、近衛の調査に関知しないとの趣旨を発表した。背景には、近衛の戦争責任を問う国内外の世論があった。近衛はマッカーサーに“解任”された形になった。

近衛は作業を続け、11月22日に天皇大権の制限や臣民の自由の尊重など、GHQの意向を考慮した改正要綱を天皇に奉答したが、その運命は暗転する。GHQは12月6日、近衛の逮捕を日本政府に指示。戦犯として裁かれることを拒んだ近衛は、16日に東京都杉並区の自宅で服毒自殺した。

奈良屋旅館は江戸中期創業。明治天皇や勝海舟が宿泊したほか、元首相岸信介ら政財界人も愛用した。2000年に国の有形文化財に登録されたが、01年に資金繰りに行き詰まり閉館。取り壊され、跡地にリゾートホテルが建つ。(肩書は当時、敬称略)

憲法研究者の鈴木安蔵氏の自宅跡=東京都世田谷区
憲法研究者の鈴木安蔵氏の自宅跡=東京都世田谷区
鈴木安蔵
鈴木安蔵

3---鈴木安蔵の自宅跡 民間草案、GHQに影響/東京・世田谷、在野学者

うずたかく本が積まれた2階の書斎で、紫煙をくゆらせながら机に向かった。民間の「憲法研究会」の中心メンバーで、在野の憲法研究者だった鈴木安蔵の自宅は東京都世田谷区下馬にあった。鈴木は1945年11~12月、憲法改正案の起草に取り組んでいた。

「民間で憲法制定の準備をする必要があるから、君は専門だし、ぜひやるように」。10月下旬、大原社会問題研究所所長で後にNHK会長になった高野岩三郎に声を掛けられたのがきっかけだ。研究会は鈴木、高野のほか、社会思想家で後に文相を務めた森戸辰男らがメンバーで11月に発足。週に1度の会合で内容を練り上げていった。

完成した憲法草案要綱は12月下旬、連合国軍総司令部(GHQ)に届けられ、内部で「著しく自由主義的」と評価される。「統治権は国民より発す」として天皇の統治権を否定し、国民主権の原則を打ち出すとともに、幅広い人権規定を含んでおり、GHQ草案に影響を与えたとされる。

鈴木は京都大の学生時代、マルクス主義に傾倒し、治安維持法で逮捕された。獄中で憲法研究を志し、出獄後に本格的な学究生活に入った。

鈴木を主人公にした映画が2007年に公開され、その足跡が改めて注目されている。自宅跡に住む孫の川井信矢は「改憲論議が活発になる中、祖父に脚光が当たるのはうれしい」と話した。(肩書は当時、敬称略)

政府の憲法改正草案を作った松本烝治国務相の別荘の一室=神奈川県鎌倉市
政府の憲法改正草案を作った松本烝治国務相の別荘の一室=神奈川県鎌倉市
松本烝治
松本烝治

4---松本烝治の別荘 商法学者、3日で私案作り/鎌倉の洋館、改正要綱に

1945年の大みそか、国務相の松本烝治は神奈川県鎌倉市鎌倉山の別荘に車で向かった。幣原喜重郎内閣が設けた憲法問題調査委員会の委員長で、商法の第一人者。委員会で議論を重ねた後に「これは自分で起草するのほかはない」(本人の回想)として、洋風の別荘で46年の元日から3日夜までかけて私案を書き上げた。

これに先立つ45年10月11日、幣原と会談した連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサーは「憲法の自由主義化」に触れた。元首相近衛文麿らによる調査も進んでいた中、幣原内閣は競うように同月25日に調査委員会を設置した。

12月8日の帝国議会で、松本は天皇の統治権総攬(そうらん)の堅持など松本4原則として知られる改正の基本方針を示した。

松本の私案は、最終的に「憲法改正要綱」となり、46年2月8日にGHQに提出された。「政府案」とも呼ばれたが、基本的人権の保障が限定されるなど明治憲法の枠組みをほぼ維持していたために拒否され、その場でGHQ草案を手渡される。「自信家」とも評された松本は、追加の説明資料の提出などで抵抗したものの、GHQの同意は得られなかった。

松本の別荘はGHQによる接収を経て、69年ごろからは別の日本人家族が住んでいる。居間兼食堂だった部屋には円弧状に張り出した窓があり、かつてのしゃれた雰囲気を色濃く残す。(肩書は当時、敬称略)

GHQ会議室跡。現在は会議室として使用されている=東京・有楽町の第一生命日比谷本店
GHQ会議室跡。現在は会議室として使用されている=東京・有楽町の第一生命日比谷本店
ホイットニー(ライフ提供・ゲッティ)
ホイットニー
(ライフ提供・ゲッティ)

5---GHQの作業部屋 約25人が起草進める/会議室、9日間で完成

東京・有楽町の第一生命保険が入るビル(旧第一生命館)の6階に、約130人を収容できる会議室がある。連合国軍総司令部(GHQ)が1946年2月、9日間で憲法改正草案を起草した作業の中心となった場所だ。作業班は女性を含む約25人だった。

同じ階の最高司令官マッカーサーの執務室は今も保存されているが、会議室は場所をそのままに改修され、当時の面影はない。日常的に第一生命の会議で使われている。

GHQの起草で重要な役割を担ったのが、民政局長ホイットニーだ。大日本帝国憲法をベースにした幣原喜重郎内閣の憲法問題調査委員会の改正案を、46年2月1日に毎日新聞が報道。ホイットニーは同日、占領管理に関する連合国の最高機関「極東委員会」が政策決定をする前の今なら、GHQに改正権限があると説明するマッカーサー宛ての文書を作った。

マッカーサーが改正の3原則を示した翌日の4日、ホイットニーは民政局行政部職員に起草の指示を出す。弁護士経験のある民政局次長ケーディスが中心となり、立法権、行政権、司法権、人権など八つの委員会に分かれて作業を進めた。

10日夜、草案がマッカーサーに手渡され、修正を経て12日に完成。13日に日本政府に提示される。ある女性スタッフは「ビル最上階に簡易食堂があり、そこでサンドイッチの立ち食いなどをしながら夜も白々となる頃まで働いた」と回想した。(肩書は当時、敬称略)

外相公邸跡に建てられた「日本国憲法草案審議の地」の記念碑=東京都港区
外相公邸跡に建てられた「日本国憲法草案審議の地」の記念碑=東京都港区
吉田茂
吉田茂

6---外相公邸跡 GHQ案に日本側あぜん/吉田茂が居住、今は記念碑

大きなガラス窓から暖かな陽光が差し込んでいた。1946年2月13日、東京・麻布の外相公邸。日本家屋の1階南側にある部屋で、連合国軍総司令部(GHQ)民政局長のホイットニーら4人は、作成した憲法改正草案を外相吉田茂や国務相松本烝治に手渡した。GHQ側の記録は「(吉田らは)あぜんとした」と伝えている。

日本側は、この日にGHQから草案が出てくるとは予想していなかった。松本が委員長を務める内閣の憲法問題調査委員会がまとめた政府案を5日前にGHQに提出しており、それに対する見解が示される場だと考えていたからだ。

草案を渡すとともに、政府案を「受け入れられない」と突っぱねたホイットニーは、30分ほど庭に出て、吉田らにGHQ草案を読む時間を与えた。草案は天皇を象徴とし、戦争放棄をうたうなど政府案とは大きく異なる内容だった。

部屋に戻った後、ホイットニーは連合国内に天皇の戦争責任を追及する意見があることを踏まえ「天皇を守るための案だ。日本民衆の要望に合うものと信じる」との趣旨の説明をした。会談は1時間ほどで終わった。

外相公邸は戦前から社会福祉活動をしてきた「原田積善会」の事務所だったが、戦後に政府が借り上げ、当時は吉田が住んでいた。2001年にビルに建て替えられ、「日本国憲法草案審議の地」との記念碑が残されている。(肩書は当時、敬称略)

衆院本会議場
衆院本会議場
芦田均
芦田均

7---衆院本会議場 焼け野原の中で審議/改正案成立、重要な修正も

「改正憲法の最大の特色は戦争放棄を宣言したことだ」。1946年8月24日、衆院本会議場。憲法改正のための特別委員会委員長を務める芦田均が演説をしていた。

「これこそ数千万の人命を犠牲とした大戦争を体験して、万人が待ち望んだところであり、世界平和への大道だ」。委員長報告を終えると、議員らから大きな拍手が湧いた。国会議事堂周辺はまだ焼け野原が広がっていた。

これに先立つ6月25日に政府が上程した改正案は、特別委員会に付託され、さらに修正案を作るための小委員会が置かれた。後に首相となる芦田が双方の委員長に就任。当時の日記に「厚生大臣や国務大臣であるより張り合いのある仕事である」と意気込みを記した。小委員会の非公開の議論は7月25日から8月20日の間に13回行われた。

戦争放棄をうたう9条の後段に「前項の目的を達するため」との文言を挿入したことで、自衛力保持を可能にしたともされる「芦田修正」のほか、国民主権の明記、生存権規定の追加など、戦後社会に大きな影響を及ぼす修正がなされた。

10月7日、衆院本会議で修正案が圧倒的多数で可決され、成立。当初40日だった会期は延長を重ね、114日に及んだ。

衆院本会議場は一部修繕を重ねながら、70年前そのままの姿で、論戦を見守り続けている。(肩書は当時、敬称略)

1946年11月3日、皇居前広場で開かれた日本国憲法の公布を祝う都民大会で、集まった人たちに応える昭和天皇と香淳皇后
1946年11月3日、皇居前広場で開かれた日本国憲法の公布を祝う都民大会で、集まった人たちに応える昭和天皇と香淳皇后
外国人観光客らが行き交う皇居前広場
外国人観光客らが行き交う皇居前広場

8---皇居前広場 秋晴れの下、10万人の熱気/祝賀大会、国民は歓迎

秋晴れの皇居前広場が、10万人以上の人々の熱気に包まれた。大きなアーチや紅白幕が飾られ、吹奏楽団の演奏が響く。1946年11月3日、日本国憲法が公布され、皇居前広場では、祝賀の都民大会が開かれた。

国民と相携えて自由と平和を愛する文化国家の建設に努める―。昭和天皇はこの日、大会に先立って開かれた貴族院本会議場の式典で憲法公布の勅語を朗読。その天皇が馬車に乗って皇居前広場に現れると、群衆から「万歳」との声が次々に上がった。都内中心部はバスや都電を増便するほどの人出だったという。

敗戦から立ち上がろうとした人々は新たな憲法に希望を見いだしていた。国会審議前の46年5月、毎日新聞は政府の憲法草案について男女約2千人を対象にした世論調査の結果を掲載。戦争放棄の条項を必要としたのは70%、象徴天皇制を支持したのは85%で、「大多数の支持を得た」と位置付けている。

公布の日の夜、首相吉田茂はラジオで国民に語り掛けた。「この憲法は、日本国民が選んだ代表者を通じて確定した、言い換えれば国民の自由に表明した意思による憲法である」

戦後間もない占領下では、米独立記念日のパレードが行われた一方で、メーデーのデモの舞台にもなった皇居前広場。現在、集会などは禁止され、外国人観光客やランナーが行き交う。(肩書は当時、敬称略)

  • 朝鮮戦争で戦火から逃れる避難民
  • 警察予備隊員採用の身体検査
  • 吉田首相がダレス米特使と会談
  • 吉田首相が日米安保条約に署名
  • 主権回復祝い銀座に日の丸
  • チャタレイ裁判被告席の伊藤整氏(写真左)
  • 「三越にはストもございます」
  • 紡績工場労組が人権無視に抗議行動
  • 保安隊発足祝い行進
  • 保安隊戦車の行進
  • 自衛隊旗などお披露目
  • 自衛隊発足の記念行事
  • 砂川闘争
  • 新党結成に向け鳩山邸で会談
  • 社会党左右両派が再統一
  • 保守合同で自由民主党が誕生
  • 皇太子さまと美智子さまが結婚
  • 皇太子ご夫妻が馬車でパレード
  • 水俣で漁民が抗議
  • 砂川事件で最高裁が一審判決破棄
  • 岸首相が新安保調印のため羽田出発
  • 社会党議員を排除し新安保条約を強行採決
  • デモ隊が国会を包囲

戦争によって焦土と化した日本は、新憲法の前文で「日本国民は、恒久の平和を念願し」と表明、9条は「戦争の放棄」と「陸海空軍その他の戦力の不保持」を明記し、「平和主義」を基本理念の1つに掲げた。

しかし1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、連合国軍総司令部(GHQ)は日本政府に警察予備隊の創設を指示。日本は51年9月にサンフランシスコ講和条約に調印、同時に日米安全保障条約も締結した。52年、主権を回復。米国(西側)とソ連(東側)による東西対立の中、日本は西側陣営に加わり、警察予備隊は52年10月、保安隊に改編され、54年7月にはさらに保安隊は改編され、自衛隊として発足した。「再軍備」は憲法論争を招き、「自衛隊は9条違反か」の議論は今に続く。

55年に保守合同で誕生した自民党は「自主憲法制定」を掲げ、鳩山一郎内閣は政府内に憲法調査会を設置。57年に就任した岸信介首相は憲法改正に意欲を示した。しかし日米新安保条約の国会採決を強行した岸内閣に対し、国会を取り巻く連日のデモなど激しい抗議運動が起き、60年6月、新安保条約発効を機に岸首相は退陣に追い込まれた。

 

1950年 6月25日 朝鮮戦争勃発
  8月10日 警察予備隊創設
51年 5月 8日 チャタレイ裁判第1回公判
  9月 8日 サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約に調印
  12月18日 三越労組がストライキ
52年 4月28日 サンフランシスコ講和条約、日米安保条約が発効
  10月15日 警察予備隊を改編した武装部隊「保安隊」発足
54年 6月13日 近江絹糸紡績(現オーミケンシ)で無期限スト
  7月 1日 防衛庁設置、保安隊を自衛隊に改編
55年 9月13日 砂川闘争始まる
  10月13日 左右社会党が統一
  11月15日 保守合同で自由民主党結成。「自主憲法制定」を掲げる
56年 6月11日 鳩山一郎内閣が政府内に「憲法調査会」を設置
  12月18日 日本、国連に加盟
57年 2月25日 岸信介内閣発足
  7月 8日 在日米軍立川飛行場の拡張に反対し、測量阻止を求めて基地内に入った住民が逮捕される(砂川事件)
59年 3月30日 東京地裁は砂川事件で駐留米軍は違憲と判決(伊達判決)
  4月10日 皇太子(現在の天皇)と正田美智子さん(現在の皇后)結婚
  12月16日 最高裁は「統治行為論」を採用し、砂川事件の伊達判決を破棄、差し戻す
60年 1月19日 日米新安保条約調印、日米行政協定を日米地位協定に改正し調印
  5月20日 衆院で新安保条約を強行採決。連日、国会を取り巻くデモ
  6月15日 全学連主流派が国会に突入し、東大生の樺美智子さんが死亡
  6月19日 新安保条約と関連協定は参院の議決がないまま午前0時、自然成立
  6月23日 新安保条約が発効。岸首相が退陣表明

(海外の事項は現地時間)

  • 池田首相が所得倍増計画
  • 新幹線「ひかり1号」出発
  • 東京五輪で聖火点火
  • 昭和の巌窟王、冤罪晴らす
  • 朝日訴訟で最高裁判決
  • 32年に及んだ家永教科書裁判
  • 「沖縄デー」で首都大混乱
  • 大阪万博に6400万人
  • 三島由紀夫が憲法改正で決起呼び掛け
  • 沖縄返還協定に調印
  • 佐藤首相が機密保護法必要と答弁
  • 復帰後も変わらない沖縄米軍基地
  • 津地鎮祭訴訟で違憲判決
  • 水俣病患者が土下座で回答迫る
  • 72年衆院選「1票の格差」は違憲
  • 三木首相が終戦記念日に靖国参拝
  • 昭和天皇が最後の靖国参拝
  • 「ロン・ヤス」関係で信頼築く
  • 「不沈空母」発言に抗議ビラ
  • ロッキード事件で田中元首相に実刑判決
  • 中曽根首相が終戦記念日に靖国公式参拝

岸信介首相の後を継いだ池田勇人首相は「所得倍増計画」を打ち出し、経済重視の政治への転換を鮮明にした。高度経済成長の時代に入った日本は1964年、東京五輪を開催し、復興を世界にアピールする。東海道新幹線も同年、開通した。佐藤栄作首相は72年、沖縄返還を実現。「日本列島改造論」を掲げた田中角栄首相は同年、日中共同声明を発表し、国交を回復した。

経済成長の一方で憲法改正の議論は下火となるが、水俣病や四日市ぜんそくなど「生存権」に関わる公害の発生や、表現の自由、政教分離、国政選挙の「1票の格差」など憲法を巡る課題が問われるようになったのもこの時代だ。中曽根康弘首相は85年、第2次世界大戦のA級戦犯を合祀した靖国神社に公式参拝し、中国や韓国の反発を招いた。

日米間では78年に自衛隊と米軍の協力を定めた「日米防衛協力指針(ガイドライン)」が決定され、中曽根首相は83年の訪米の際「日米は運命共同体」「日本列島は不沈空母」などと発言し、「日米同盟を基軸」とする外交・安全保障方針を明確にした。

 

1960年 7月19日 池田勇人内閣発足。「所得倍増計画」を打ち出す
  10月19日 生活保護の支給内容は憲法25条(生存権)などに違反すると訴えた裁判(朝日訴訟)で東京地裁が保護基準は違法と判決
63年 3月 1日 昭和の巌窟王、えん罪はらす
64年 10月 1日 東海道新幹線開通
  10日 東京五輪開幕
  11月 9日 佐藤栄作内閣発足
65年 6月12日 家永三郎東京教育大教授が教科書検定を憲法違反として提訴(以降、3次にわたり提訴)
67年 4月21日 佐藤首相が「武器輸出三3原則」を言明
70年 3月14日 大阪万博が開幕
  31日 赤軍派による日航機よど号ハイジャック事件
  11月25日 作家の三島由紀夫が「楯の会」メンバーと東京・市谷の自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入、
憲法改正のためのクーデターを呼び掛けた後、割腹自殺
71年 5月14日 津市が地鎮祭に公費を支出したのは違憲と名古屋高裁が判決(最高裁は77年に合憲判決)
72年 2月19日 連合赤軍による「あさま山荘事件」
  5月15日 沖縄返還
  7月 7日 「日本列島改造論」を掲げた田中角栄内閣発足
  9月29日 日中が共同声明を発表し、国交回復
73年 4月 4日 最高裁は尊属殺人に重罰を科す刑法の規定は違憲と判決
  10月 6日 第4次中東戦争勃発で第1次石油ショック
75年 8月15日 三木武夫首相が現職首相として初めて終戦記念日に靖国神社参拝
  11月21日 昭和天皇が最後の靖国神社参拝
76年 4月14日 最高裁が72年衆院選の「1票の格差」を違憲と判決
  7月27日 東京地検が田中前首相を逮捕
78年 10月17日 靖国神社が東条英機元首相らA級戦犯を合祀
  11月27日 日米両政府が有事の際の自衛隊と米軍の協力を定めた防衛協力指針(ガイドライン)決定
82年 11月27日 中曽根康弘内閣発足
83年 1月18日 中曽根首相が日米首脳会談で「日米は運命共同体」と言明。
米ワシントン・ポスト紙記者に「日本列島は不沈空母」と発言
85年 7月17日 最高裁が83年衆院選の「1票の格差」を違憲と判決
  8月15日 中曽根首相が靖国神社を公式参拝
87年 4月 1日 国鉄分割、民営化

(海外の事項は現地時間)

  • 「大喪の礼」に内外から9800人
  • 皇位継承儀式公費支出に批判
  • 「マドンナ旋風」で山が動く
  • バブルで株価が史上最高値
  • 東西ベルリンの壁、崩壊
  • ソ連で共産党強硬派がクーデター
  • 湾岸戦争で燃えるクウェートの油井
  • 海自掃海部隊がペルシャ湾入り
  • PKO法案の強行採決
  • カンボジアに派遣される陸自隊員
  • カンボジアで文民警察官死亡
  • カンボジアPKOで陸自部隊が活動
  • 皇太子さまと雅子さまが結婚
  • 非自民8党派の細川内閣発足
  • 海上自衛隊観艦式に出席した村山首相
  • 阪神大震災で火に包まれる神戸市街
  • 地下鉄サリン事件発生
  • 自主廃業の山一社長が涙で会見
  • 国旗国歌法案反対を歌でアピール
  • 官邸記者会見場に初めて日の丸
  • 日米首脳がキャッチボール
  • 小泉首相の靖国参拝に抗議

戦後、世界を分断していた米国を中心とする資本主義陣営とソビエト連邦を中心とする共産・社会主義陣営の東西冷戦対立は1989年に終結。「ベルリンの壁」が崩壊、ソ連は91年に解体し、ロシア連邦などに分裂した。

国内でも昭和天皇の逝去、株価・地価が異常に高騰したバブル経済の崩壊、自民党の長期政権「55年体制」の終結など、歴史的な転換期となり、新しい体制が模索されることになる。

91年1月に多国籍軍がイラクを攻撃した湾岸戦争で国際貢献を求められた日本は、戦争終結後に海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣し、自衛隊の本格的な海外派遣が始まった。92年には国連平和維持活動(PKO)協力法が成立し、陸上自衛隊PKO部隊がカンボジアに派遣された。

2001年4月に就任した小泉純一郎首相は8月に靖国神社を参拝、中韓両国から批判を受けるが、首相在任中は参拝を続けた。

 

1989年 1月 7日 昭和天皇逝去
  7月23日 マドンナ旋風の参院選で与野党が逆転
  11月 9日 ベルリンの壁崩壊
  12月 3日 米ソ首脳がマルタ会談で東西冷戦終結を宣言
  29日 東京証券取引所の大納会で平均株価が終値で3万8915円の史上最高値を記録
91年 1月17日 多国籍軍による湾岸戦争開戦
  4月26日 湾岸戦争の停戦後、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾へ。自衛隊初の本格的な海外派遣
  12月25日 ソビエト連邦解体。ロシア連邦などが独立
92年 6月15日 国連平和維持活動(PKO)協力法成立
  9月17日 自衛隊PKO部隊をカンボジアに派遣
93年 6月 9日 皇太子さまと小和田雅子さん結婚
  8月 9日 細川護熙内閣発足。政権交代で自民党長期政権の「55年体制」終結
94年 7月20日 社会党の村山富市首相が国会答弁で自衛隊合憲と言明
95年 1月17日 阪神大震災
  3月20日 地下鉄サリン事件
  8月15日 戦後50年の村山首相談話。「植民地支配と侵略」に反省とおわびを表明
97年 8月29日 第3次家永教科書訴訟で最高裁が検定制度は合憲としながらも、
検定意見に関し国の裁量権の一部逸脱を認める判決(家永教科書訴訟が終結)
  9月23日 日米は朝鮮半島有事を想定した新たな防衛協力指針(ガイドライン)を決定
99年 5月24日 周辺事態法成立
  8月 9日 「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌とする国旗国歌法成立
2000年 1月20日 衆参両院に憲法調査会設置
01年 4月26日 小泉純一郎内閣発足
  8月13日 小泉首相が靖国神社参拝

(海外の事項は現地時間)

  • 米中枢同時テロでツインタワー崩壊
  • 米英軍がイラク攻撃を開始
  • 陸自イラク先遣隊の隊旗授与式
  • 陸上自衛隊本隊が装甲車でイラク入り
  • サマワ仮宿営地の陸自女性隊員
  • 「強制でないことが望ましい」と天皇陛下
  • 性的マイノリティーの人たちがパレード
  • 小泉首相が終戦記念日に靖国参拝

2001年9月11日、ニューヨークの貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が突入するなど米国の中枢を標的とした同時テロが発生、世界に衝撃が走った。米英軍は「テロとの戦い」を掲げて、アフガニスタンを攻撃、03年3月にはイラク戦争が始まる。

日本政府は01年にテロ対策特別措置法を制定し、アフガン攻撃を行う米艦などにインド洋上で給油支援を実施。03年に成立したイラク復興支援特別措置法では戦後の人道復興支援としてイラク南部サマワに陸上自衛隊部隊を派遣、戦闘が続く事実上の「戦地」への初めての自衛隊派遣となった。

憲法について「広範で総合的な調査」を行う目的で2000年に衆参両院に設置された憲法調査会は05年に最終報告書をまとめた。同年、結党から50年を迎えた自民党は「新憲法草案」を公表。9条を改正し「自衛軍」の保持などを明記したが、小泉純一郎首相は在任中の改憲は封印した。

 

2001年 9月11日 米中枢同時テロ
  10月 7日 米英両国がアフガニスタン攻撃
  29日 テロ対策特別措置法成立
  11月 9日 米軍艦船などへの補給活動に向け海上自衛隊をインド洋へ派遣
(新テロ対策特別措置法の期限切れで2010年、最終的に撤収)
02年 2月15日 自衛隊PKO部隊の東ティモール派遣決定
  9月17日 小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問。金正日総書記が日本人拉致を認めて謝罪
03年 3月19日 イラク戦争開戦
  6月 6日 武力攻撃事態法など有事関連3法成立
  7月26日 イラク復興支援特別措置法成立
04年 1月19日 陸上自衛隊先遣隊がイラク南部サマワに到着
  6月14日 国民保護法など有事関連7法成立
05年 4月15日 衆院憲法調査会が最終報告書。参院調査会は20日
  10月28日 自民党が新憲法草案を公表
  11月22日 自民党が立党50年記念大会
06年 8月15日 小泉首相が終戦記念日に靖国神社参拝

(海外の事項は現地時間)

  • 憲法改正の国民投票法が成立
  • 最高裁が「国籍法は違憲」と判断
  • 政権交代で鳩山内閣発足
  • 東日本大震災の大津波
  • 隊員10万人態勢で救助、捜索
  • 震災から1カ月半後の福島第1原発
  • 無人の町で咲き誇る桜並木
  • 中国船が尖閣諸島で領海侵犯
  • 離島奪還を想定して訓練
  • 保育園上空を飛行するオスプレイ
  • 憲法学者が「安保関連法は違憲」
  • 国会に向けて若者らが抗議の声
  • 国会前道路を埋め尽くす抗議の市民ら
  • 参院特別委の強行採決でもみ合う議員
  • 1万人が憲法改正を訴え
  • 「1票の格差」2.13倍は違憲と提訴
  • 最高裁は「違憲状態」と判断
  • 再婚禁止規定に「違憲」判決
  • 高校生が国会で模擬投票
  • 参院選、改憲勢力3分の2以上に
  • ジュバのPKO施設を警戒する陸自隊員
  • オバマ大統領が広島訪問
  • ビデオメッセージで退位にじます
  • 安倍首相が真珠湾で慰霊

2006年9月に就任した安倍晋三首相は憲法改正に意欲を示し、07年、改憲の手続きを定めた国民投票法を制定。12年12月からの第2次政権では特定秘密保護法制定や武器輸出3原則の撤廃を実施。憲法解釈上認められないとされてきた集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法を15年9月に成立させるなど、憲法に関わる法制の転換が進んでいる。

16年には南スーダンに派遣した陸上自衛隊PKO部隊に安保関連法に基づく「駆け付け警護」などの任務を命じ、海外での自衛隊の活動が拡大された。

11年3月に発生した東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故は、多くの人々の命と暮らしを奪い、経済のグローバル化が進む中、貧困と格差の拡大も指摘される。

天皇陛下は16年8月、天皇の位を皇太子さまに譲る「退位」の意向をにじませるビデオメッセージを公表した。陛下は「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないか」と述べ、「象徴天皇制」の在り方が問われることとなった。

自民党は野党時代の12年、自衛隊を「国防軍」と明記する憲法改正草案を公表。16年の参院選の結果、衆参両院で改憲に賛同する勢力が改憲発議に必要な「総議員の3分の2以上」の議席を占める状況となり、憲法改正の議論は新たな段階に入っている。

 

2006年 9月26日 安倍晋三内閣発足
07年 1月 9日 防衛庁が防衛省に昇格
  5月14日 憲法改正手続きを定めた国民投票法成立
  8月 7日 衆参両院に憲法審査会設置
08年 6月 4日 最高裁が父母の婚姻を要件とする国籍法の規定を違憲と判決
  12月31日 「年越し派遣村」が東京・日比谷公園に開設
09年 9月16日 政権交代で民主、社民、国民新の3党連立の鳩山由紀夫内閣発足
11年 3月11日 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故
12年 4月27日 自民党が自衛隊を「国防軍」と明記する憲法改正草案公表
  12月26日 安倍氏が首相に復帰。第2次安倍政権発足
13年 12月 6日 特定秘密保護法成立
14年 4月 1日 政府が武器輸出3原則を撤廃し、防衛装備移転3原則を決定
  7月 1日 政府が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定
  12月14日 衆院選で自民、公明両党が「3分の2以上」の議席確保
15年 4月27日 日米が自衛隊と米軍の協力を拡大する新たな防衛協力指針(ガイドライン)を決定
  6月17日 改正公職選挙法が成立。選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げ(16年6月に施行)
  9月19日 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法成立
  12月16日 最高裁が女性の再婚を離婚後6カ月認めない民法規定を違憲と判決
16年 3月29日 安保関連法施行
  5月27日 オバマ米大統領が現職大統領として初めて被爆地・広島訪問
  7月10日 参院選で改憲勢力が「3分の2以上」の議席確保
  8月 8日 天皇陛下が象徴としての務めについてのお気持ちをビデオメッセージで表明
  11月 3日 日本国憲法、公布から70年
  11月15日 南スーダンの自衛隊PKO派遣部隊に新任務「駆け付け警護」付与を閣議決定
  11月16日 参院選後初の参院憲法審査会開催。衆院審査会は17日開催
  12月27日 安倍首相がオバマ米大統領とハワイの真珠湾訪問
17年 5月 3日 日本国憲法、施行から70年

(海外の事項は現地時間)